「檜(ヒノキ)」は高さ30~40メートルにもなる常緑高木の針葉樹です。東北地方(福島県)を北限に、本州、四国、九州と広く分布していますが、「木曽檜」と呼べるのは、長野と岐阜、愛知の県境に位置する木曽地方に育つ天然檜だけ。 傾斜が険しい木曽の山は、雨が多く、特に冬は厳しい寒さと深い雪に包まれます。そんな厳しい自然環境の中、木曽檜は他の場所で育つ檜の2倍も3倍もの時間をかけて、ゆっくり、ゆっくりと生長していきます。その気が遠くなるほどの時間こそが、木曽檜の緻密で美しい年輪を刻むのです。
優れた耐久性、高い抗菌性、清らかな香り、そして神々しいほどの美しさ・・・すべてにおいて他の追随を許さない森の王者、木曽檜。奈良の法隆寺、薬師寺、名古屋城の本丸御殿や大洲城の天守閣など、日本有数の建造物、仏像、伝統工芸品などに用いられていますが、中でも最も木曽檜と深いゆかりを持つのが、伊勢の神宮です。
伊勢神宮は「皇大神宮(こうたいじんぐう)」(内宮)と「豊受大神宮(とようけだいじんぐう)(下宮)」を中心とする日本で最も尊い神社で、20年に一度「式年遷宮(しきねんせんぐう)」というおまつりが1300年以上も続けられています。 遷宮とは同じ形の社殿をはじめ、すべてを新調し、神さまにお遷りいただく特別なおまつりです。次の世代へ技術や精神を伝承するための大切なしきたりであり、「木の再生」を祈るまつりでもあります。
そのご用材となるのが、樹齢300年以上の天然の木曽檜です。日本の神社の最高峰が認める木曽檜は、極めて貴重で特別な存在だといえるでしょう。
木曽檜が建築材として注目を集め出したのは、豊臣秀吉が天下人となった安土桃山時代に遡ります。大阪城や伏見城を築城する際に重宝したことがきっかけとなり、以後全国の城や屋敷、造船のために非常に多くの木曽檜が使われていきました。
およそ100年にも及ぶ大量伐採により、木曽の資源は枯渇し、山は荒廃の一途を辿ります。その状況を危惧した尾張藩は「木一本に首一つ」「枝一本に腕一つ」という厳しい掟を儲け、森林保護対策に乗り出します。切ってはいけない木はヒノキをはじめ、サワラ、アスナロ、ネズコ、コウヤマキの5つ。これを称して「木曽五木(きそごぼく)」と言います。
尾張藩の管理は明治2年(1869年)まで続き、その後は国が所有する国有林となりました。国が保護政策を進めたおかげで、現在の木曽谷には樹齢300年を超える天然檜が多く生息するようになりましたが、貴重な木材であることは今もなお変わりはありません。伐採数は国が管理し、伐採を許されている業者もごく限られた人材のみです。
「木曽檜歯磨きジェル」は、その選ばれし杣人(そまびと=「木こり」のこと)が伐採した樹齢300年以上の天然木の檜の蒸留水を使って作っています。
幹の部分は伊勢の神宮などが使用する高級建材に用いられますが、私たちが使っているのは、切り落とした枝葉の部分。貴重な天然木曽檜だからこそ、余すところなく大切に使いたい。そして余計なものは一切混ぜない - - - - このポリシーを徹底して、檜のチップと豊かな自然が育む天然の湧き水だけで蒸留水を作りました。
私たちの口内環境を守ってくれるているのは、正真正銘、天然の力なのです。