森は物語の宝庫です。いえ、ドラマそのものです。
冷沢(つめたざわ)コースを歩き出したばかりの私たちの足を止めたのは、小さくて背の低い草でした。
「これはバイカオウレンと言って、山の中に生える整腸剤なんですよ」
というのは、知識豊富な案内人のせつこさん。
山の中で作業する人は、腹痛を起こしてもおいそれと町のお医者さんにかかることはできません。そこで、このバイカオウレンの根っこを乾燥し、煎じて飲んでいたそうです。植物は「緑の薬」などと言われることがありますが、木曽の山の中には、そんな人を助ける緑の薬がたくさんあるのでしょう。
バイカオウレンは「梅花黄連」とも書き、春先には梅に似た、白くて可愛らしい花が咲くそうです。私たちが見たときには残念ながら花はなく、青々とした葉っぱのみでしたが、目には見えない根っこの力を最初に気づいた人は、一体誰なのでしょう。森は不思議でいっぱいです。
「これは朴(ほお)の葉です。木曽では端午の節句に使われます」
バイカオウレンではしゃがみこんで説明してくれたせつこさん。立ち上がり少し歩いたかと思ったら、今度は上を向いて私たちに話しかけます。
木曽の端午の節句は昔から旧暦で祝うため、5月5日ではなく、1ヶ月遅れの6月5日。このとき米粉を練ったものを朴の葉で巻き、蒸しあげた「朴葉巻き」を作って、神様にお供えするんだそうです。
端午の節句といえば「柏」の葉で包んだ「柏餅」が一般的ですが、標高の高い木曽地方では柏が手に入らなかったので、代わりに朴の葉を使ったということです。
丈夫な上に香りもよく、殺菌性も高い朴葉は、木曽地方では日常的に重宝していたそうです。せつこさんが子どもの頃は、朴葉を2枚と藁を持ってお豆腐屋さんに買いに行き、包んでもらうと、家に帰る頃にはいい塩梅に水が抜けていたとか。自然のものを賢く利用する生活、素敵ですよね。憧れます。
そんな身近な存在だった朴葉が、なぜ端午の節句に朴葉が使われるようになったのか。それにはこんな理由があるそうです。
「朴の木は太陽の光を求めて、力強く伸びて行きます。そのとき、ぐるぐると場所を入れ替わりながら、太陽を譲り合って成長するんです。
決して独り占めすることもなく、喧嘩をすることもなく、全員が大きくなって行く。
端午の節句に使うのは、「子どもたちみんなが元気で育つように」という願いも込められているんです」
降り注ぐ太陽をみんなで譲り合うことで、全員が元気に育って行く。
なんて素晴らしいのでしょう。
植物が自然にできていることを、私たち人間は果たしてできているでしょうか?
頭ではわかっていても、いざとなったら「俺が」「私が」の「我」が出てしまうこともあるはず。そんなときには、この青空に伸びる朴の葉のことを思い出し、譲りあう心を取り戻したいと思います。
優しき森のルールは、他にもあります。ここ、赤沢自然休養林には、木曽五木(ヒノキ サワラ アスナロ ネズコ コウヤマキ)を中心に、様々な広葉樹や高山植物が生長しています。木曽五木は常緑の針葉樹ですが、季節の移ろいとともに広葉樹は葉を落とし、他の草花たちはいつしか枯れていくのです。
しかし、森はそのすべてのいのちを受け止めます。落ちた葉や実が土に還ることで、ふっくらと温かいした腐葉土となっていきます。滋養に満ちたその土は、ゆっくり育つ木曽檜の成長を助け、その恩恵を受けた木曽檜は、成長することで森を支えて行くのです。
見事なる持ちつ持たれつ。
いのちのバランスがそこにはありました。
また、森の調和を担っているのは、植物だけではありません。森に住む動物たち、カモシカやイノシシ、クマなども、ひと役買っているのです。
彼らはすべての木の芽や木ノ実を食べ尽くすようなことは絶対にしません。先端は食べてしまっても、最後まで食べずに、次に芽吹き、育ち、再び実を結ぶことができるように、ちゃんと残しておくのです。
分相応。
これもまた自然の教え、森のルールなのでしょう。
森のことを知れば知るほど、森から学ぶべきことが、こんなにもあることに気づきます。物言わぬ森から、私たちはどれだけのことを学ぶことができるのでしょうか。
<つづく>